Essay 3 of 門脇 仁 オフィシャルサイト





アオダイショウの棲む家で





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 そのあたりは古風で味わいのある住居が多かった。
 だが1軒だけ、まわりの景観から落ちこぼれ、取り残された家があった。古いことは古いが、風情はまったくない。
 褪せた緑色の屋根。茶色いトタン張りの外壁。マッチ箱のようにズドッと建っているだけの木造2階建ては、家というより町内会の寄り合い所だった。
 私が初めて勤めた会社で、何年か暮らしたなつかしい寮の話である。

 南麻布と三田のあいだを仕切って流れる古川に、三の橋という橋がかかっている。その橋のたもとに寮はあった。
 首都高が古川の真上を走るため、夏は日陰でムシムシするうえ、騒音と煤塵が昼夜を問わず降ってくる。
 が、すこし歩けば広尾や六本木に出る。まだ20代前半だった当時の私にとって、ロケーションだけは格別に思えた。

 寮は1階に管理人さんが住んでいるだけで、2階はまるまる空いていた。会社からは徒歩0分。そこに暮らせば、とりあえず朝晩の満員電車からは解放される。私はすぐさま入居を申し出た。

 翌日、総務の人が私を呼びつけてボヤいた。
 「困るんだよなあ。ほら、うちは安月給だろ? 社員はみんな、自宅から通える人にかぎられてるんだよ。きみだって、親もとから十分通えるから採用したんじゃないか」 
 当時、私はまだ郊外の実家にいた。
 「はあ、そうなんですか。でも満員電車が苦手なもので……」
 「ともかく会社としては、べつに入居者を募ってるわけじゃないんだ。勝手に申し込まれても困るよ。でも、もしかしてキミ、入社前から狙ってたんじゃないの?」
 「あの、何をでしょうか?」
 「だからさ、社宅暮らしを」
 会社では、なんとそのあばら家を「社宅」と呼んでいた。シャタクといえば、ふつうは中級のマンションくらいをさすものだろう。私は笑いをこらえながら否定した。
 「シャタク? 知るわけないでしょう。そんなもんがあったなんて!」

 とはいえ、しょせんは住み手のいない寮のこと。会社は四の五のいいながらも、2ヵ月後の入居を認めた。家賃はタダだった。
 社内では、
 「へー、よかったじゃない」
 という意見と、
 「もの好きなヤツもいたもんだ。たとえどんなに積まれても、あんなボロ家に暮らすなんざまっぴらだ!」
 という意見でまっぷたつに割れた。

 その家に一生軟禁されるというなら、さすがに私もたじろいだろう。だがそういう古臭い建物と、時代の先端を行くようなライフスタイルが同居する。人生の一時期に、そういうアンバランスな日々もおもしろいと思った。
 以後しばらくは、自由気ままなアーバンライフが続いた。私は金曜の夜通し六本木で飲んだり、それから芝浦埠頭まで歩き、潮風を浴びたりした。広尾のナショナルマーケットでは、輸入食品と外国人マダムの多さに内心のけぞった。

 近場には、意外と古いものも残っている。古本屋のほか、ビルの谷間の釣り堀もあって、よく通ったものだった。この2か所はいまも健在だ。

 寮のまわりの眺めで好きだったのは、古川に沿って建つクリーニング工場である。寒い冬でも、朝早くからモウモウと蒸気が立ちこめている。そのむこうで、たくさんの従業員がスチームアイロンを動かしていた。私は労働の原点を見る思いで、毎朝それを横目にしながら身支度をした。会社は目の前なので、朝は9時まぎわになってから寮の敷居をまたげばいい。

 だが、あばら家はいつまでたってもあばら家だった。階段は歩くたびにきしみ、台風の夜は2階の部屋に天井から雨水が落ちてくる。風呂と洗面所は、忍者屋敷のように抜け口から地下へおりていくつくりになっている。早い話が、風呂場の壁の向こうは縁の下なのだ。

 いまにして思えば、あれほど古い家に一度としてネズミが出なかったのが、なんとも不思議なことではあった。




 こうしてむかえた2年目の夏。
 「シャタクの庭にヘビが出た!」
 と誰かがいった。
 橋のたもとのわが道を往く会社のことである。社風はいたってのんびりしていた。ヒマをもてあました社員のあいだでは、こんなつまらぬ噂もたった1日で知れわたる。シャタクにヘビが出た。住んでるあいつはきっとパニックだ。明日の朝は、寝不足のはれぼったい目で出勤してくるに違いない……。

 よけいなお世話というものだ。だが案の定、ヘビの噂は本当だった。翌朝、私が玄関の引き戸をあけて出かけようとすると、植え込みのところに大きなアオダイショウが寝そべっている。

 おらおら、カモンボーイ。野生の驚異をごらん。小動物ぐらいは軽く呑んでみせるよ……奴は(彼女は?)そう言って不敵に笑った。子どもの頃は素手でつかむこともできたのに、あらためて面と向かってみると、私はヘビが苦手になっていることに気づいた。あの深緑色と黒の迷彩色。チロチロと出入りする舌のリズム。パラパラとクラクションを鳴らす暴走族の威嚇にも似ている。

 数分後。私はすこし離れた所から、物干しザオの先でヘビを突いていた。ヤマタノオロチでもないのに、おずおずとした太刀まわりに意表をつかれ、東京砂漠のアオダイショウは立ち退きを迫られていた。
 と、相手はいったん植え込みの外に逃げ、態勢を立て直してから、庭木のてっぺんまでスルスルと一気に登っていった。逃がしてなるものか。私はなおも下からサオでつつく。ヘビはうまいこと、囲いの外の道路へ落っこちてくれた。
 そのころになると、社員のほとんど全員が出社していた。道路に墜落したヘビのまわりには、火事場のような人だかりができている。
 はて、どうやってアオダイショウを生け捕ったものか。
 「かどちゃん、これ……」
 私と同い齢のSくんという営業社員が、モップをもってきてくれた。このあたりから、ヘビ事件はソープコメディの様相をおびてくる。

 ヘビはなかなかモップに絡みついてくれない。すると今度は発送課の中年ドライバー氏が、血相を変えて飛んできた。
 「おい、そんなことやってないで、ちょっと貸してみろよ!」
 彼は憑かれたような剣幕で、私からモップを奪い取り、シャカシャカと横這いでアオダイショウを掃きだした。まるでホッケー選手だ。アオダイショウはわけのわからぬ敵の襲来にいきり立ち、やみくもにもんどり打っている。そのすきにドライバー氏は道路の向こう側、古川の岸辺のヤブへと、ヘビを追いやってしまった。

 そこは近所の子どもたちが遊ぶヤブだ。どうすれば環境にも、ヘビにも害のないように庭から退去してもらえるかというときに、彼は一番やってはいけないことをやってくれた。
 「こうすりゃいいんだ。初めっからな!」
 ドライバー氏はそう吐き捨てると、近所のおばさんたちのザラついた視線をよそに、肩で息をしながら持ち場へと凱旋していった。


 すったもんだの果て、シャタクの敷地からヘビが消えた。
 と思いきや、その夏はたて続けにあと2匹、都合3匹のヘビが出た。

 2匹目は、白と黒のシマヘビだった。これは会社から20メートルほど離れた道路で目撃されている。昼食へ出かけた帰りにそれを見た女子社員の話では、ヘビと知らずにまたぎ越そうとしたひとりのおばあさんがいて、いきなり動き出した長いものに固唾を呑み、片足立ちのまま凍りついてしまったという。

 3匹目は、会社の物置き近くに出たアオダイショウだった。今度はSくんが軍手をはめてヘビ捕りに挑む。めでたくヘビの頭とシッポを押さえた彼は、2階の窓からもの珍しげに見ている女子社員たちの方へ、ヘビを高く突きだしてガッツポーズを送った。

 だが必要なのは、むろんモップダンスでもガッツポーズでもない。つかまえたヘビをどうするかという決断だ。
 取り押さえられたヘビは死んだふりをしている。
 私はどこからか麻袋をもらってきて、Sくんにこういった。
 「そのアオダイショウ、こんなかに突っ込んでくれよ」
 「どこにもってくの?」
 「なるべく遠くの川」
 非日常的なやりとりのあと、私はSくんからヘビの麻袋を受け取ると、三の橋を渡り、魚藍坂をめざして一目散に走った。われながらまれに見る俊敏さだった。古川沿いをなるべく遠くまでいったところで、浅瀬に放そうと思ったのである。

 だが古川橋にさしかかったとき、ヘビが仮死状態から目を覚ました。麻袋のなかでモゾモゾ動き始めている。あたりをうかがうような動きが、そのうち全身いっぱいの大きなくねりに変わり、さらには麻袋から脱出せんともがき始める。
 日本人なら誰でも知っていよう。アオダイショウに毒はない。だが私は、闘うまえから毒気にあてられ、戦意を喪失していた。
 「こいつにあと10秒つき合ったら、まちがいなくおれは『長いもの恐怖症』になる……」
 根拠のないタイムリミットを自分に言い聞かせ、2~3回モーションをつけると、私はかろうじて10秒以内にそいつを麻袋から出し、砂州へ放り投げた。
 アオダイショウは宙を舞うとき、ちょうどびっくり箱のバネ人形のようだった。バックの青空に、”Byoyoyon!”という白い文字がくっきりと浮かびあがった。

 ヘビは放物線を描いて浅瀬に落ち、しばらくしてからくねくねと流れに身をゆだねた。だがしばらくして、ガラスの破片やプラスチックゴミが散乱する砂州にたどり着き、そのままどこかへ這っていった。

 どうにかまた餌場を見つけてくれ。私はヘビにそう願うばかりだった。伸びたり縮んだりしながら進んでいくヘビの姿は、ちょうど疲れた満員電車を思い出させた。ごめんな、アオダイショウ。でもおまえがシャタクに居座りつづければ、おれはまた満員電車に乗らねばならぬ……背に蛇腹は代えられぬのだ。

 こうしてヘビに振り回されたひと夏がすぎた。
 やけに暑い夏だった。古い下水管でネズミでも獲りながら生きていたアオダイショウが、蒸し暑さのあまり日向へ出てきたのだろう。こんな都心で、たて続けに3匹のヘビが出たというのも、そう考えると腑に落ちた。

 私はその後、将来への希望が変わってその会社を飛びだした。会社に未練はなかったが、シャタクを去るのはすこし心のこりだった。

 ヘビは家の守り神といわれる。2匹のアオダイショウは、さしずめシャタクのあるじだった。そして数年後、会社もシャタクも同じ衰運をたどった。親会社にあたる大学に吸収され、社名も一新されたのである。シャタクを含めたすべての建物は、そのとき取り壊された。私はその頃、環境問題を扱う記者になっていたが、赤坂の雑誌社と実家とを満員電車で行き来する暮らしからやり直していた。

 あるじのヘビが消えるまえから、あの会社は終っていたのだろう。古き良き時代の弱小出版社だった。その頃、昭和が終りを告げている。

 いまでもときどき、私は三の橋の近くを歩いてみる。アオダイショウ屋敷があったあたりは一新されたが、対岸のクリーニング工場から川の真上に突きだした下水管は残っている。そこから細く立ちのぼる湯気を見ていると、あの頃の希薄で茫漠とした生活感覚がふと頭をかすめる
 ともあれ、ポイ捨てはよくない。命であればなおのことだ。

(2011.3.25)




























































































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取り壊される家と、最も沿岸に建つ高層ビル。驚くべき無計画都市、東京。







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