Review2 of 門脇 仁 オフィシャルサイト



 L'avenir de l'eau
 (エリック・オルセナ著 『水の未来』)




  生命の水を追い、
  グローバリゼーションの核心衝いた力作




 エリック・オルセナの名を知ったのは、
“Histoire du Monde en Neuf Guitares(9つのギターによる世界史)”という中編小説を見つけたときだった。その小説には、ギターとその親戚の弦楽器をモチーフとする9つの夢が描かれていた。それらの夢に導かれ、エリック・クラプトンと思しき主人公が、紀元前2500年のエジプトから20世紀末の社会まで時空をスリップしていく。歴史を通じて、人類の心にたえず去来してきた危機感を描く、いわば文明批判の物語だった。

 私は新刊当初の96年、パリのジベール書店でその本に出会った。ダイナミックでちょっと奇抜な構成から、「この作者はおもしろい」と感じた。知的にも人間的にもバランスの取れた、ふところの深い書き手だと直感したのである。

 その直感が当たっていたと思えたのは、前作の“Voyage aux Pays du Coton”だった。世界の綿花産業を取材したノンフィクションルポだが、スケールの大きさは“Neuf Guitares…”と共通で、「グローバリゼーションに関する小レポートⅠ」とサブタイトルが打ってあった。そして今回の“L’avenir de l’eau(水の未来)”は、同シリーズの続篇にあたる。前作、今作ともに、環境文化史的な要素をふんだんに取り込みながら、衣食に欠かせない綿、命に欠かせない水をみち糸として、グローバル社会の核心に到達している。ノンフィクションとはいいながら、オルセナの環境文学と呼んでもいい2冊である。

 さて、“L’avenir de l’eau”は、「水の真性」に関する7つのエセーから始まる。破壊的な脅威にもなり、創造的なエネルギーにもなる水。そして何より、命をはぐくむ水。続く序章では、神話や聖典に見られる水の記述をもとにして、水のもつ精神作用にフォーカスしている。次いで各論に入り、オーストラリアの旱魃、シンガポールやイスラエルの海水淡水化、インドの伝染病や環境難民、中国の都市化と水問題、気候変動とダム問題、地中海の汚染、アフリカの水不足、水をめぐる官民の取り組みや課題などが述べられていく。

 著者オルセナは、旱魃の取材のために世界の半分を旅したという。そして安全な飲み水の不足から23万人がコレラに感染するアフリカの実情や、「気候難民」ともいうべきバングラデシュの洪水被災者の窮状を述べる。中国では、グリーンピースや清華大学の活動を取材し、不法投棄による水の汚染や土壌浸食の実態にも目を向けている。

 余談だが、海水淡水化については私も取材したことがある。水の足りない中東の産油国では、石油火力をふんだんに使って海水を蒸留・淡水化することができる。しかしコストがかさみ、加えてオイルピークも叫ばれるいま、飲み水の多くは他地域からこれらの国に輸入されている。一方、大規模な海水淡水化施設を備えた東南アジアのシンガポールのような国では、膜分離技術を使った海水淡水化が新しい輸出産業として伸長している。水と気体があるところならどこでも(つまり地球上のいたるところで)、膜は活用できる。本書で取り上げられているシンガポールやイスラエルのほかにも、地中海のマルタ島、スペインのカナリア諸島、沖縄県北谷(ちゃたん)町など、世界各地で膜分離による先進的な海水淡水化テクノロジーの実用化が進められてきた。

 さて、こうした環境技術や環境行政の専門家から見ると、本書の内容はすこし物足りないかも知れない。もとよりデータベースとして編まれた本ではないから、「水問題についての体系的な知識を仕入れよう」などとは思わないほうがいい。伝染病の現状にしても、昔から知られるコレラが象徴的にふれられているだけで、ギニアウォームやデング熱といった他の伝染病の現状を知ることはできない。

 それは終章に書かれたヴァーチャル・ウォーター*1についても同じだ。たとえばスペインがモロッコのタンジェから20トンのトマトを輸入すると、間接的に2000立方メートルの淡水資源も輸入することになる。20トンのトマトを栽培するには、2000立方メートルの水が必要になるからだ。ヴァーチャル・ウォーター(間接水)の概念を知らなかった人にとっては目新しい事実かも知れないが、本文のラストにもってくるほどのインパクトはない。水の専門書にはしばしば紹介されているからである。

 またその章には、“Le logique de Sushi(寿司のロジック)”というタイトルがあり、次のようなエピソードが取り上げられている。

実際、(寿司に使われる)これらの魚は、日本の超近代漁船の巨大なトロール網で漁獲される。地域の、たとえばモーリタニアの零細な漁民が、この競争にどうして立ち向かえるだろうか。彼らは仕事を変えるしかない。市場の魚売り場から魚は消える。モーリタニア国民はこのタンパク質不足を補うため、より多くのヒツジやヤギを食べるが、それを育てるにも多くの淡水が必要となる。

 こうした記述はメディア受けも良く、環境についての一般の議論を深めるきっかけにもなるだろう。だがもちろん、この「寿司のロジック」でオルセナは、日本だけをヤリ玉に上げようとしているわけではない。このような見えないつながりが、世界のあらゆる水問題、環境問題に偏在していると警告しているのである。また、水資源をめぐる外交問題についても、オルセナは「水戦争」のようなセンセーショナルな言葉で気をそそろうとしているのではなく、その根本に水圏生態系をめぐる文化的隔絶に目を向けている。

 ところが人によっては、日本漁業への国際的バッシングや、「水戦争」といった一面的な関心に終始してしまう。環境論の最も危いところは、このように数値で把握できない定性的なテーマになったとたん、ごく表層だけで片づけられやすい点だ。

 その意味で、導入部の「水の真性」をめぐる7つのエセーは、読者を素通りさせない装置としての役割もそれなりに果たしていると思える。一般に、日本の環境ジャーナリズムは客観データに依存しすぎ、専門的な知見やリーディングオピニオンに乏しい。逆にフランスでは、本書のように理論や知識教養のウェートが高く、そのぶん客観データが少なすぎる。両者の中間的なバランスをもった環境読本が必要だということも、ここでは付記しておきたい。

 さて、本書は2009年に刊行されたが、日本語版がない。邦訳を検討していた出版社も、結局は見合わせたと聞いている。お隣の韓国では、すでに訳書が出て話題になっている。日本では本書にかぎらず、オルセナの著作がまだほとんど翻訳出版されていないというのも、淋しい話である。むろん訳し手がいないのではない。私も機会があれば訳してみたい一人だ。読者がいないのでもない。いまどこからかリンクをたどってこのページに行き着いかのも知れない皆さんのように、オルセナの潜在読者は決して少なくはないはず。環境をめぐるオルセナの著作については、今後ぜひ出版界のアグレッシブな戦略にも期待したいところだ。

(2011.4.20)








L'avenir de l'eau Photo.jpg







L'histoire du monde en neuf guitares Photo.jpg











Voyage au pays du Coton photo.jpg
































































*1 ヴァーチャル・ウォーター(間接水):ロンドン大学のトニー・アラン教授が提唱した理論。農畜産物の生産に要した水の量を表す。「仮想水」と訳されることも多いが、間接的に使われる水量なので「間接水」と定義されている。