Review9 of 門脇 仁 オフィシャルサイト

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The River Runs Black
The Environmental Challenge
To China's Future

Elizabeth Economy


    中国で最も汚染された大河の実態と
    環境政策の構造的問題点



 タイトルの「川は黒く流れる」がまず目を惹く。これはどこの川のことか。
 華北の黄河と江南の揚子江の間で、大陸を西から東へ流れるもう一本の名だたる川、淮河である。中国第三の大河として知られる淮河は、イングランドとほぼおなじ流域面積に、日本列島よりわずかに多い人口を抱える。古くは農業と漁業に依拠していたが、いまは数万の中小工場が林立し、紙パルプや化学製品を量産している。この淮河こそ、中国で最も汚染の激しい川なのである。

 2004年に初版が発行された“The River Runs Black”(現在第2版)は、その淮河で40年以上前に始まった汚染の実態を調査し、中国環境政策の課題を論じた本である。80年代以降、中国の市場経済化が進むと、急速な経済発展にともなって汚染は濃縮され、拡大し、飲料水にも有害影響をおよぼすようになった。そのおもな原因について、著者エコノミーは産業と政治構造の両面から説いている。

 まず、淮河は昔から氾濫や干ばつの多い河川だった。70年代には毛沢東が195カ所以上のダム建設に着手したが、75年にはそのうち最大のダム2カ所が決壊し、23万人の死者を出した。その後、淮河の汚染が激しくなると、ダムには汚染水が溜まるようになった。州政府がダムの水門を開くたびに、汚染水は下流の地域に溢れ出し、下痢や嘔吐など、住民への健康被害をおよぼした。流域には河南省、安徽省、山東省、江蘇省の4州があるが、こうした地域における住民の発がん率は、全国平均の2倍といわれる。

 こうした経緯を見るかぎり、淮河の汚染は市場経済への移行がきっかけで起こったように見える。本書でも引用されているカール・ポランニーをはじめ、古くから多くの論者によって危惧されてきた市場経済の行きづまりが、ありがちなシナリオとして顕在化したにすぎないとする見方だ。
 だが、中国の環境問題を加速させたもうひとつの原因は、生態系の管理をめぐる中央政府から地方政府への権限移譲にあった。鄧小平時代の80年代、市場経済化と並行しておこなわれた地方分権化は、政府の権限を自治体に移管し、各地域固有の用件を満たすことを狙いとしていた。しかしこれは、環境保全・教育・保健医療といった公共分野からの撤退にもつながった。環境対策をはじめ、地域格差の拡大する公共対策への責任は、北京から地方政府に丸投げされる所作となったのである。

 なお、中国企業に対する外国投資の拡大にも、もちろん汚染悪化の原因がある。日本をはじめ、多くの先進国が安価な労働力と土地を求めて生産拠点を中国に移したことは、工場排水の増加に拍車をかけることとなった。

 淮河一帯は、とくに環境対策への遅れが目立っている。2000年の時点で、淮河への汚染物質の排出は、法律によって定められた基準値の2倍――灌漑にも適さない「レベルⅤ」――に達していた。以来、中国政府は6000億元以上の巨費を投じて淮河の水質改善に取り組んできたが、実質的な成果は上がっていない。環境基準を遵守していると主張し、虚偽のデータを中央政府に提出する省もあったという。また、汚染原因企業への取り締まりを強化しているという既成事実を作るため、地方政府は違反した中小工場の操業を停止させるが、これらの工場は数カ月で再稼働したり、昼間だけ休業して夜間に稼働するというケースも多く見られる。

 中国の環境問題についてしばしば引用される「上に政策、下に対策」、すなわち政府と民間のいたちごっこは、このようなことを背景に生じている。また地方政府の役人は、企業の業績にも利害や責任を負っている場合が多く、これも環境基準を一律に適用しきれない要因のひとつといわれる。
 ちなみにこうした構造的な背景は、私が環境取材で北京を訪れた頃(1993年)とまったく変わっていない。当時も地方企業は、「罰金なら払ってますよ」をエクスキューズに、排水基準を守らないというのが、現地でのもっぱらの声だった。その後、杭州を視察したとき(2006年)も、状況はあまり変わっていなかった。

 淮河の汚染は、中国全体の環境問題に通じていると著者はいう。それはおもに、洪水、砂漠化、水不足、森林減少、人口増大の5つの問題である。これらを見ると、洪水の頻発は森林破壊によって土壌の保水性が低下したことから来るものであり、もとをたどれば人口増加による天然資源の過剰消費に行き着く。また森林減少は、一方で水不足や砂漠化も惹き起こしている。つまりすべては相互に関連しているのだが、その根本にあるのは、経済発展を優先させるために政府が有効な対策を徹底させなかったことである。またその過程で、環境問題に対する国民の関心までなおざりにされたことだろう。

 2006年までに中国は、世界で最も汚染の著しい30都市のうちの20都市を抱える国家となった。国土の3分の1、耕作地の3分の1が、ともに酸性雨で覆われてしまう。都市部を流れる河川の水の75%以上は飲料用に適さない。国土のおよそ4分の1は砂漠化、土壌侵食、塩害のいずれかによる深刻な被害を受けている。一部の推計によれば、こうした環境問題への対策コストはGDPの8~12%にも達するという。発がん性のある微小粒子状物質(PM2.5)については、2015年3月の全国人民代表大会(全人代)で、中国環境保護省が前年より11.1%減らしたと発表したが、なお2017年までに全国で1兆7500億元(約28兆円)のコストをかけて対策に取り組まねばならないとされている。

 もとより中国の歴史は、古代専制王朝の時代から「経済的繁栄⇒環境悪化と天然資源の供給低下⇒社会秩序の混乱⇒内乱による政権交代」というサイクルを繰り返してきた。現在の中国政府がこのサイクルの最終段階、すなわち「内乱による政権交代」の時期を迎えていると指摘するのは、本書の著者エコノミーだけではない。2014年から中国共産党の汚職幹部に対して行われた一連の追放措置などにも、その一端を見る人たちがいる。王朝時代から腐敗によって政権の交代を余儀なくされてきた歴史の再現を是が非でも避けたいとする政府の思惑は、確かに不退転ととらえることができるだろう。
 だが汚職が政権の腐蝕を意味するなら、環境汚染は国土そのものの荒廃につながりかねない最大の難局である。これと真っ向から向き合えるかどうかに、政権だけでなく国家そのものの盛衰がかかっているといってもいい。

 “Centuries of rampant, sometimes willful destruction of environmental destruction”(激しく、ときに故意による数世紀の環境破壊)とは、中国の歴史について著者エコノミーが述べた言葉である。
 そもそも中国の政治は、太古に洪水対策で手柄のあった禹王が夏王朝を開いたという伝説から始まる。有史以来、治水の営みが中国の為政者と人民にとっていかに大きな意義をもっていたか。それを物語るエピソードである。水を治める者がつねに国を治める。これはいまも続く歴史であるだけでなく、上に述べた要因も加わって、新しい政治課題ともなりつつある。13.5億人のために安全な水を環境破壊から守るという課題である。

 このところ経済成長に翳りの見え始めた中国。持続可能な発展をめざすには、日本を含めた周辺国との協力により、こうした環境問題の改善に政治の根本から取り組めるかどうかがカギになると見て間違いない。

(2015.3.16)












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