Profile of 門脇 仁 オフィシャルサイト






 著述家、翻訳家。東京理科大学非常勤講師、法政大学非常勤講師、都内専門学校講師。
 現在、東京都国分寺市在住



 1961年埼玉県浦和市生まれ。慶應義塾大学仏文科を卒業後、慶應通信株式会社編集部*1、国際開発ジャーナル社編集部主任記者*2を経て、自然史の伝統をもつフランスへ渡る。


 ソルボンヌ*3、新ソルボンヌ*4でフランス文明講座などを受講後、パリ第8大学(ヴァンセンヌ・サン=ドニ大学)大学院応用人間生態学上級研究課程(DESU)を修了*5

 帰国後、カナダのトロントに本部のあるICLEI(国際環境自治体協議会)*6 に就職。ICLEIアジア太平洋事務局次長と(財)地球・人間環境フォーラム主任研究員を兼任した後、1998年に独立。

 以来、記者時代の海外取材経験や、留学で身につけた専門知識を生かし、地球環境、生態学史、開発援助、環境政策などの分野で、著作と翻訳(フランス語・英語)に取り組んでいる。



 また講師としては、東京理科大学理学部第1部、法政大学キャリアデザイン学部、専門学校インターナショナル・スクールオブビジネス国際ビジネス科、東京アカデミーなどで、環境科目*7や語学科目*8を担当している。

 なお、大学時代に第3期「三田詩人」の復刊に参加したほか、文芸賞入選作*9を含む未発表の小説がある。

〔所属団体〕
 文学・環境学会

〔資格〕
 生態学修士、仏文学士、環境プランナーER、小型1級船舶操縦士、実用英語能力検定準1級

〔受賞歴〕
 日本ナレッジマネジメント学会研究奨励賞(2004年)

〔趣味〕
 アコースティックギター、ランドネ(野歩き)、沿岸航海、エルビエ(植物標本)

〔好きな言葉〕
 もやい直し*10、Fluctuat nec mergitur(たゆたえども沈まず)*11




(背景フォト:南太平洋タモン湾)









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(撮影・竹井俊晴)


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フォンテーヌブローの
生物保護区






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東北タイの村
ナコンラチャシマ





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黒部峡谷




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チュニスのカルタゴ遺跡



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シャルル・ド=ゴール
空港ターミナルの朝焼け










 本人による注釈



*1 慶應通信編集部:現在の慶應義塾大学出版会。

*2 国際開発ジャーナル社:経済技術協力の専門月刊誌「国際開発ジャーナル」を発行している出版社。発起人は「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)の日本代表だった故・大来佐武朗。ここではいわゆる3P問題(人口・貧困・環境破壊)をはじめ、多くのグローバルイシューについて学び、世界で活躍する国際協力関係者の知己も得た。編集部は激務でスタッフも少なく、実質的に当時の次長と私の2人で紙面を作っていた時期もあった。

*3 ソルボンヌ:パリ第4大学

*4 新ソルボンヌ:パリ第3大学

*5 日本の修士課程に相当。なお、この2年半のフランス留学に先立ち、雑誌記者時代に自主研修としてヨーロッパに2カ月滞在している。そのときはパリでのフランス語研修のほか、マルタ共和国で地中海文明と英語の集中講座を受けた。

*6 国際環境自治体協議会(ICLEI):International Council for Local Environmental Initiatives 環境保全のための国際的な自治体ネットワーク。本部はトロント、欧州事務局はフライブルクにある。

*7 環境科目 2008年度から東京理科大学理学部第1部で「環境2」を、2011年度から法政大学キャリアデザイン学部で「基礎演習文化A 環境と文化」を、それぞれ担当している。


*8 語学科目 ISBでは非英語圏からの留学生に英語と生物を、東京バイオテクノロジー専門学校ではフランス語を教えている。

*9 文芸賞入選作:第19回潮賞小説部門最終選考作品「ダニエルの朱夏」

*10 もやい直し:水俣市で始まったスローガン。水俣病をめぐる偏見や対立で分裂していた市民の心をひとつにしようと唱えられた、内面社会の再構築。水のごとく清冽で、未来への敬虔な願いが込められた言葉。

*11 Fluctuat nec mergitur(たゆたえども沈まず):パリ市の(もとはセーヌ河水運組合の)紋章に掲げられている言葉。時代の波に翻弄されながらも、超然とたたずむシテ島を形容したもの。「座右の銘は?」と聞かれたら、私は迷わずこれを挙げたい。





Photo Story (年代順不同)

ラ・ボエーム

IMG_0005.jpgいろいろな生活環境が知りたくて、パリではよく引っ越しをしました。14区、16区、18区、郊外のブルティニー・シュル・オルジュ、ロバンソンと、住んだ場所はホームステイも含めて5カ所。写真は14区アレジア駅近くのステュディオ。地階はイタリアンレストラン。屋根裏部屋にこもって論文を書き上げた18区オルナノ通りも、思い出ぶかい街角です。

雑誌記者時代

IMG_0004.jpg「国際開発ジャーナル」の頃。当時から専門は環境国際協力。アジア、アフリカ、オセアニアへの海外取材を含む超多忙な日々でした。

ギター小僧

IMG_0004.jpg4才上の兄がいたせいか早熟で、小学5年の終わり頃から毎日ギターをいじっていました。写真は13才(中学2年)の頃、地元の公民館で開いた全曲オリジナルのコンサート(中央が私)。シンガーソングライターが夢でした。

たてがみノート

IMG1.jpg高校は県立の進学校でしたが、まったく肌に合いませんでした。管理主義教育、画一的な価値観、単調な授業……どれにもなじめず、息の詰まる思いの3年間。ところが、学校を離れた音楽活動でも、声域をムリにひろげようとして慢性喉頭炎を患い、東京医科歯科大病院で歌にドクターストップが。人知れず煩悶し、何も手につかない日々が2年ほど続きました。高1の冬には駿台模試で東大合格圏だった成績も、高2の夏から急降下。落第すれすれで卒業。浪人生活へ。あいにく父の失業も重なり、3つのアルバイトをしながら慶應大に入学。失った時間は戻りませんが、朱に交じわらない「栄誉ある孤立」の日々だったとも思えます。

悩みのあとには……

IMG.jpgモダニスムの伝統に憧れていたので、私学へ行くなら慶應仏文科しか考えていませんでした。若い頃は大事ですよ、とっぽいハート! フランス語の初等文法さえ駆け出しのうちから、アンドレ・ブルトンの原詩に首を突っ込んだりしました。そして2年生の秋、仏文科の学友数名と「三田詩人」を復刊。詩や評論を発表したり、現代詩人や現代芸術家のもとへワイワイ押しかけたりしました。フランスから留学に来ていた友達もいて、4年間はまたたく間でした。いまでも大学には、迷走していた青春を救ってもらったと思っています。
「私は思い出す/悩みの後には楽しみが来ると」(アポリネール)

(写真協力・慶應塾生新聞)

地球環境との出逢い

IMG.jpg環境分野で仕事をするようになったのは、「地球環境」という生硬な言葉に、思いがけなく五感が呼応してしまったから。90年代の初めでした。温暖化、森林伐採、生物多様性、水資源など、さまざまな取材をするなかで見えてきたのは、先進国・途上国を問わず、世界に根を下ろした「成長神話」の限界でした。写真は、取材で訪れた南太平洋のタラワ環礁。海面を見つめる子どもたち。

学園祭で

gakuensai.JPG近頃は大学や専門学校で学生たちと接する機会も増えました。お正月っぽいフォトですが、これは専門学校の学園祭。

(仕事の詳細については、WORKSページをご参照ください)